石上純也の世界その4緑の庭に囲まれた「カルティエ現代美術財団」の展示室には、今まで紹介した他に、今回紹介する、那須高原の「水庭」(ボタニカルガーデン アートビオトープ/ウオーターガーデン)の模型がある。1、ボタニカルガーデン アートビオトープ/ウオーターガーデン23May2018design
石上純也の世界その3「カルティエ現代美術財団」で、開かれている「石上純也」の個展「Freeing Architecture」から、今回は、オランダのビジターセンター「PARK GROOT VIJVERSBURG」を紹介します。1、「PARK GROOT VIJVERSBURG」21May2018design
石上純也の世界その2フランス建築家「ジャン・ヌーヴェル」が設計した、庭園が周囲を囲むガラスとスチールでできた特徴的な建築のカルティエ現代美術財団」で行われている個展「石上純也―FREEING ARCHITECTURE」のタイトルの「FREEING ARCHITECTURE(自由な建築)」とは、2011年に石上が雑誌『新建築』のために執筆した巻頭論文のタイトルから取られたものである。彼は、そこで「自由な視点で建築をとらえる」「自由なアプローチで建築を考える」「みんなが自由に価値観を持てる時代の建築」という意味が含まれている、そして「僕の建築は社会とあまり関わりないと思われていますが、そうではありません。世の中とつながるためにはどういう立場でどういう建築を...20May2018
石上純也の世界その1雑誌「エル・デコ」の2018年6月号を見ていたら、「石上純也の「自由な建築」」の特集のページがあり、以前にも「エル・デコ」2017年10月号で、ニュースとして取り上げていたので、見直してみると、山口県宇部市に設計した「レストラン&住居」が記載されていた。19May2018design
1970年代の建築今回は、「ログミー」のHPに書かれていた、2017年7月21日、銀座蔦屋書店で開催されたイベント「坂茂と語る建築家の社会的役割」から、映画「誰も知らない建築のはなし」の映画監督の「石山友美」氏のトークから、特に「1970年代の建築」を紹介します。「石山友美」氏が、「誰の知らない建築のはなし」の映画をつくったいきさつは、イタリアの「ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」の日本チームとして70年代の建築を主に取り上げて、上映されたものである。2014年に上映されていたようである。日本のポストモダン建築の章で出てきたのが、「チャールズ・ジェンクス」氏の「POST-MODERN ARCHTECTUE」のベストセラーの本です。17May2018design
香川県でイサム・ノグチ展香川県立ミュージアムで「20世紀の総合芸術家イサム・ノグチ」展を2018年4月7日(土)~6月3日(日)で開催されています。「イサム・ノグチ」は、1951年に、丹下健三が設計した「広島平和記念公園」のモニュメントに「ノグチ」のデザインが選ばれたが、原爆を落としたアメリカの人間であるとの理由で選考から外れた。このプロジェクトに彼の起用を推挙した「丹下健三」は、「ノグチ」のデザインの一部を平和公園にある丹下健三設計の「原爆慰霊碑」に生かされた。16May2018art
横浜三溪園の古建築(外苑)三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 「原 三溪」によって、1906年5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。(現在、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟)東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、三溪の手により1902年頃から造成が始められ、1914年に外苑、1922年に内苑が完成しました。三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年原家から横浜市に...15May2018art
横浜三溪園の古建築(内苑)三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 「原 三溪」によって、1906年5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。(現在、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟)東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、三溪の手により1902年頃から造成が始められ、1914年に外苑、1922年に内苑が完成しました。三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年原家から横浜市に...14May2018art
ヴィトラ・デザイン・ミュージアムの建築(後半)「ヴィトラ・デザイン・ミュージアム」は、ドイツ連邦共和国、バーデン=ヴュルテンベルク州ヴァイル・アム・ラインにあるスイスの家具メーカー「ヴィトラ」社の構内にある美術館です。これらの工場や美術館などの設計したのが、世界中に知れわたている有名建築家達です。今回は、その敷地に建てられた建築を紹介します。その建築が建っている構内の図面です。13May2018art
ヴィトラ・デザイン・ミュージアムの建築(前半)「ヴィトラ・デザイン・ミュージアム」は、ドイツ連邦共和国、バーデン=ヴュルテンベルク州ヴァイル・アム・ラインにあるスイスの家具メーカー「ヴィトラ」社の構内にある美術館です。これらの工場や美術館などの設計したのが、世界中に知れわたている有名建築家達です。今回は、その敷地に建てられた建築を紹介します。その建築が建っている構内の図面です。12May2018art
六本木ヒルズ ・ 森美術館 15周年記念展 建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの先日、ひょんなことから夜にこの展示会について書いている人物より電話があり、写真の件で問い合わせがありましたが、その写真は、雑誌からの転載のためにお断りをしましたところ「ジパング東京2020」を教えていただきました。それが、今回の「六本木ヒルズ・森美術館15周年記念展」のことであり、紹介することにしました。「六本木ヒルズ」には、縁があって、建設に携わった友人によって、建設途中で見学させていただ来ました。あれから15年もたったことに年代を感じた次第です。ここからは、森美術館のHPより抜粋して、簡単に紹介いたします。11May2018art
清春芸術村にある建物「清春芸術村」は、武者小路実篤や志賀直哉を始めとする白樺派同人による美術館構想を、親交のあった吉井画廊社長(当時)の吉井長三が私財を投じて実現した。吉井氏が、旧北巨摩郡長坂町の清春小学校跡地を買い取り、1980年4月に「清春アートコロニー」、翌年の1981年にアトリエ「ラ・リューシュ」を建設。その後も美術館関連施設を順次建設及び移築、2003年には、「白樺図書館」が開館した。吉井氏の依頼により、「清春芸術村」の基本設計は建築家の「谷口吉郎」が担当し、彼の死後は、息子「谷口吉生」が引き継ぎ、「清春白樺美術館」や「ルオー礼拝堂」の設計を担当した。10May2018art